ダンス・マガジン No.1

ダンスマガジンを始めとするダンス・バレエ雑誌(月刊、季刊であるもの)に掲載されたハンブルク・バレエ、ジョン・ノイマイヤー関係のもの。これについても見落としがあると思いますから、その際は情報提供よろしくお願い致します。(S)

雑誌名 発行号
出版社
記事内容 備考 カヴァー
ダンスマガジン 第15号
(1987年)
SAISON a Paris
ハンブルク・バレエのパリ公演での“オテロ”、“お気に召すまま”のステージ写真が4枚
第13回ニジンスキー・ガラの紹介
初めのニジンスキー・ガラの紹介の記事。
内容はこちら
私はこのときチケットを得ることができずにオペラ座の外で他の同様のファンと一緒にしばらくの間佇んでいました。
ダンスマガジン 第15号
(1987年)
特集ドラマティック・バレエ
ジョン・ノイマイヤーとドラマティック・バレエ:ヘルムート・シャイヤー
パトリック・デュポン・インタヴュー
ドラマティック・バレエの特集に“椿姫”、“欲望という名の電車”が紹介されている。
デュポンのインタヴューには、ニジンスキーをどう思うか? と聞かれて、“ヴァスラフ”がその答えだ、といっている。
ダンスマガジン 第14号
(1987年)
パトリック・デュポン“ヴァスラフ” パトリック・デュポン率いるバレエ・テアトル・フランセの公演に先立ってナンシーの公演での“ヴァスラフ”の写真が6枚紹介されている。
ダンスマガジン 第11号
(1986年)
デュポンと輝ける仲間たち来日公演
ダンサー・インタヴュー:L..チャールズ
ハンブルク・バレエからベジャールの二十世紀バレエ団に移籍したばかりのリン・チャールズのインタヴューで“ノイマイヤーの作品は踊っているときでさえ頭で考えなくてはならない”と語っている。
ダンスマガジン 第9号
(1986年)
カヴァー:パトリック・デュポンのヴァスラフ
ニジンスキーに憑かれた男たち
 “ヴァスラフ”:ノイマイヤー、デュポン、ニジンスキーの愛の物語〜アンドレ・フィリップ・エルサン
私は“ヴァスラフ”でノイマイヤー作品に共感を覚えました。
パトリックの“ヴァスラフ”は集中力があり、強さと柔軟性があり、ニジンスキーの心を踊っていました。カヴァーは“ヴァスラフ”のシーンです。
ダンスマガジン 第8号
(1986年)
ハンブルク・バレエ 夢の軌跡
ダンサー・インタヴュー特集
 イヴァン・リスカ/コリーン・スコット、リン・チャールズ、ガマル・グーダ、フランソワ・クラウス、マックス・ミディネット、ジェフリー・カーク、ジジ・ハイヤット
来日公演の写真(マタイ受難曲、真夏の夜の夢、マーラーの第3番交響曲、マーラーの第4番交響曲、MOZART338、バッハ組曲3)が6ページ。インタヴューは11ページ。
ガマル、ジェフリー、ジジがまだ新進のダンサーとして紹介されている。
ダンスマガジン 第7号
(1986年)
来日するハンブルク・バレエをひきいるジョン・ノイマイヤー
大作「マタイ受難曲」を語る
バッハの大曲「マタイ受難曲」からノイマイヤー・バレエへ:佐々木喜久
ノイマイヤーの独創的な創作活動から
来日公演をひかえてのハンブルク・バレエ、ジョン・ノイマイヤーの紹介が9ページに及ぶ。
ダンスマガジン 第6号
(1985年)
特別インタヴュー:パトリック・デュポン
マルシア・ハイデ インタヴュー
ハンブルク・バレエ 紹介記事
 マタイ・ショック イン・ニューヨーク
  〜上野房子
この号は盛り沢山だ。
パトリック・デュポンのインタヴューには“ヴァスラフ”の創るに至った過程。
マルシア・ハイデのインタヴューには“欲望という名の電車”のことが少し。
1986年に初来日をするハンブルク・バレエ団の作品紹介記事とともに、上野房子さんのニューヨークで“マタイ受難曲”を観たときの感想。
ダンスマガジン 第5号
(1985年)
特集:世界バレエ・フェスティヴァル 第4回世界バレエ・フェスティヴァルに参加するダンサーの紹介写真に“イエスタデイ(だと思う)”リン・チャールズとイヴァン・リスカが掲載されている。
ダンスマガジン 第4号
(1985年)
ジョン・ノイマイヤー・インタヴュー
“マタイ受難曲”を広島で上演したい
ダンスマガジン・インタヴュー初登場
ノイマイヤーの姿は第3号のパトリック・デュポンの特集記事の中に(二十世紀バレエ団の25周年のガラ公演のカーテンコール時の写真)見ることができる。